てんつまに戻ることになったワケ2~2022春てんつま日記

前回の記事はこちら→てんつまに戻ることになったワケ1

コロナ禍ですから、完全に個室。看護師さんもなるべく来ないように対応出来るシステムが出来ています。当然面会も禁止。毎日天井と窓の外の空を見る日々。話す人もいない、気持ちを語れる人もいない。孤独って辛いですよね。それに、話そうと思っても声が出ない私もいました。

そんな何もできない状況にありながらも、復帰できるよう一日も早く良くならなければ!と気持ちばかりが焦る日々。

こうして、病院での時は過ぎていきました。

せっかく救っていただいた命だから

そんな中感じたのは、私というちっぽけな存在の命を救おうとしてたくさんの方が尽力してくださった。そんな風にしてせっかく救ってもらった命を無駄にしてはいけない。という思いでした。

そしてそれまでは、「人生100年時代だから、年を取っても困らないように今のうちからいろいろと備えておかないと!」という現在軸ではない考えしかなかったことに気が付きました。

明日には死んでいるかもしれない

そういう体験をすると、そういう発想が非現実的になります。病気でなくても事故などで命は一瞬でなくなってしまうほどはかないもの。自分が死なないなんてことは決してありえない。

命を大切にして生きる=自分の心と身体を大切にし、自分が幸せに生きること。そして、自分ひとりでは生きていくことが出来ないこの世の中で、家族や友達や関わる人の幸せを願い生きること。

それが生きるということなのではないか?と思うようになりました。

そして、いつか〇〇するかも?いつか〇〇しないように という現在軸でない考え方や、他人にどう見られているかを意識した他人軸、モノを主軸としたモノ軸という発想も手放していきたいとも同時に思いました。欲張りだった自分を痛感し深く反省した瞬間でした。

死ぬ前にしたいことは?

以前「死ぬ前にしたい10のこと」という映画を観た時に、そのことについて考えたことがあります。けれど今振り返ってみると、(若かったのもあるのでしょうが)全然地に足がついておらず、本気ではありませんでした。

改めて「明日死んでしまうとしたら、どんな過ごし方をしたいのか?」と、何度か自問自答してみました。その時に出てくる答えはいつも同じ。夫と高齢のために余命短い愛猫のちゃおと出来る限り一緒に暮らしたい、家族を大切にしたいという答えでした。

「もっと家族と過ごす時間を大切にしておけば良かった」
「外に出かけることばかりに目を向けていて、家族や家庭をないがしろにしていた」
「慢の心で変なプライド?にこだわっていたいた」

そんな自分を悲しく残念に思いました。

幸せは足元にあったのに、青い鳥を探したあの子たちのように、遠くばかりを探していました。そんな自分にやっと気が付くことが出来ました。

少し良くなってきてからは、夫に頼んで差し入れてもらった仏教の本を何度も読み返し、自分の至らなさを反省してはまた涙を流す日々が続きました。

仕事に復帰するというのは現実的なのだろうか?

すぐ回復するだろうと思っていましたので、退院して復帰するつもりでいました。ところが、思いのほか重症化していてすぐには退院できない。それどころかいつまで経っても良くならない。後遺障害らしきものが残りそうだ、と感じて来ていました。

そんな状況で復帰出来るのだろうか?頭をもたげてきたのは、このことでした。

退院してもうすぐ3か月目になる今もそうですが、当時も、接客したり人前に出たり、大勢の中で(事務作業だとしても)仕事出来るような状況ではありませんでした。ましてや毎日出勤することすら、とても難しい。

以前は毎日何時間も向かっていたパソコンにも、今は向かうことすら辛い。食事する時間を忘れて作業していても平気だったのに、、、、

復帰は無理かもしれない。そう感じ始めていました。

復帰をしたらたとえ仕事が満足に出来なくても、出勤する限りお給料やら家賃補助は発生します。いつ普通に仕事出来るようになるか分からない私を、費用の面や仕事の面などで市に負担をかけ、周りの方にも迷惑をかけながら在籍させてもらうのは、どうなんだろうか?

ここはきっぱり退職させて、もらって新しい方を採用してもらった方が良いに違いない。そう考えるようになりました。

とはいえ正直なところ辞めたくない

杵築市への移住を将来的に考えたうえで応募していましたので、それを見据えた協力隊としての立ち位置はとても魅力的でした。これからやりたいこと(これまで学んだ料理の知識を活かして、人と人をつなぐカレーカフェをやりたいと思っていました)の土台作りをしていこうと思っていた矢先のことです。とても残念で残念で仕方ありませんでした。

協力隊員の方々とのつながりが切れてしまうこともとても残念でした。協力隊のシステムも開始から10年以上経ち、現役隊員の方々OB.OGの方々は全国で活躍されています。街おこしをミッションとして繋がった世代も背景も環境もバラバラの人たち。けれど、皆さんに共通しているのは、スーパーポジティブで熱い想いを持っていらっしゃるということ。そういう素晴らしい方々ともっと繋がれる機会が絶たれてしまうことも、残念で悲しいことの一つでした。

と、いくら残念がっても、私の身体が、状況がそれを許してくれませんでした。まさに強制終了がかかってしまった状態でした。

思えば、11月に赴任して来てから心身には無理をさせ続けでした。元気だし健康だし大丈夫だろう、と過信していました。そのつけが溜まりに溜まって、こういう形で現れたんだな、と身体を壊して初めて気が付くことが出来ました。身体にも申し訳ないことをして来ていました。

今は身体を治さないと元も子もなくなる。天井や窓の外の空を眺める日々を送る中、そう思えるようになってきました。

そう気持ちが固まってきたタイミングで、職場の上司と同僚の方に、退職したい意向をお伝えしました。声が出ませんでしたので話すことはできず、文章でのやり取りでの退職願でした。

当初は、復帰の方向でと手段を考え、お話して下さってましたが、皆さん優しい方々で、最後にはご理解ご了承いただくことが出来ましたし、大変なご配慮をもしていただきました。素晴らしい街の素晴らしい方々のもとで働けたこと、心よりありがたく思いました。

夫の理解を得るまで

福岡に転勤していた夫に「私も福岡で一緒に暮らしたい」とLINEを送ったのも、こんな風に気持ちの整理がついてきてからでした。夫は、「杵築で移住の足固めをするために一人で暮らすんだろ?」「そんな中途半端に仕事を辞めるのはよくない」「せめて半年はやらないと無責任だ」と許してくれませんでした。

会うことはできませんから、何度もLINEや通話のやり取りを通じて、やっと私の現状と立場と思いを理解してくれました。また一緒に住むことを承諾してくれて夫には感謝しています。

住まいも単身のところから家族向けの広いところを探してくれ、一緒に住める目途も立ててくれました。また、杵築の部屋と大分の部屋からの引っ越しという二か所の引っ越しの手続きも何とか進み、4月末には引っ越しできるように段取りが取れました。

引っ越してから高齢猫の容態が急に悪化し、明日をも知れぬ状況となってしまいました。けれど、こうしてそばにいて介護できる状況にいられることは、夫を始め元職場の方々のおかげだと、とてもありがたく思っています。

これからのこと

3月末に退院出来たとはいえ、後遺障害が残り日々の生活がやっとでした。

何か仕事をしたり、人と会ったり、出歩いたりすると、必ず翌日と翌々日は寝込んでしまう状況ではありますが、その期間も段々と短くなって来ており、出なかった声も少しずつ出るようになり、一歩一歩快方へと向かっているようです。身体の回復機能が働いてくれるのもありがたいことです。

そんなこんなで、後ろ髪を引かれる思いでしたが、協力隊は退職することとなり、また転勤族の妻としての立場に戻れることとなりました。

以前のようにアクティブには動けませんので、ゆっくりと新天地での生活にも慣れていけたら良いな、と思っていますし、ついつい忘れてしまいがちですが、今日の命があること、こうして過ごす場所があること、気にかけてくれる人がいること、食べるものがあることのありがたさをおろそかにしないようにして日々を過ごしたいと思っています。

また、様子を見ながらですが、これまでの経験を活かして少しずつ色の診断や講座を中心として活動を再開していきたいとも思っています。

この場を持ちまして、支えてくださった方々、応援してくださった方々に心からお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

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