高齢猫ちゃお17歳の闘病記16

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最初の記事 高齢猫ちゃお17歳の闘病記1 猫の甲状腺亢進症が見つかったら?

とうとうその時は近づいてきました

この記事を書き始めたのは、去年の6月でした。2020年6月より元気がなく様子がおかしくなったちゃお。

何とか持ち直して一見元気に見えるまでになり、このまままだまだ長生きしてくれそうと思っていた矢先のことでした。

急に元気がなくなりグッタリし始めました。そしてごはんを食べなくなりました。その2,3日前までは、トイレも大きいのを2回もするくらい元気で、ごはんも食べていたのに。青天の霹靂とはまさにこのことというくらい、急にやってきました。

血液検査の結果は?

早速病院に電話して予約してもらい、血液検査をしてもらいました。

結果は、最悪でした。2か月前の検査では、調子が良く「この治療をこのまま続けましょう」だったのに・・・・

甲状腺の値を見るT4の数値がマックスまで上がってきていました。考えてみれば、何度も嘔吐しようとしていたことがありました。前々から猫は吐くものなので、そんなに大した問題だとは思ってなかったのですが、これが兆しの一つだったんです。

詳しい経過と状態

6/17 なんだか様子がおかしい気がする トイレは行くけど、水もご飯も食べてない。

6/18 病院に予約を入れ検査してもらう 血液検査と点滴 その後帰宅。ふらふらしつつもトイレは行けた。何も口にせず

6/19 朝に甲状腺の薬を無理やり投薬。これが飲めてなかったから悪化したに違いない。ちょっと起きて歩いていた。あとは一日中寝ているだけ。鳴き声もほとんど上げず。点滴してもらいにつれていく。帰宅すると、いつもはすぐ出る猫バッグから出ない。出てはまた入るを繰り返す。足腰がふらふらしている気がする。9時くらいからいつも寝床にしている椅子に登りにくそうにしだす。当然降りるのも降りにくそう。後ろ足を引きずって歩く。

もうダメなのかも・・・と泣きながら話しかけたり様子を見たり。でも、きっと静かにしていたいんだろうとそっとしておいてやることにする。

夜中に目を覚ました3時ごろ。猫バッグから頭だけ出して私の方をじっと見るちゃおと目が合う。朝になったら冷たくなっているんじゃないんだろうか?と思うと眠れずといっても何かできることもなく、気が付いたら4時、5時

6/20 少しお水を飲み、パウチのチュールみたいなのもほんの少し舐めた。トイレにおしっこ1回。いつもよりも黄色い気がした。その後トイレに行くも出ない様子。トイレに行くのもおっくうそう。その後無理やり投薬。しばらくして嘔吐。白い泡のようなものが出たのが一回。何も出ないのが一回。

その後私のベッドで眠る。目を合わせようとせず表情も怒ったような表情をしている。ベッドから降りられなくなっている。

昼間はほとんど私のベッドに。夕方からいつものリビングの椅子の上で寝る。

夜に少し水を飲む。朝晩なんとか投薬成功。トイレおしっこを計3回 水も飲んでないのにおしっこが出るなんて・・・

19日からちゃおが来てからの日々を思い出しながらちゃおに話して聞かせることを始めた。もらってきたとき、名古屋での生活、札幌での生活etc 引っ越しの時のエピソード。それぞれの土地でのエピソード。あんなことあったね、こんなことあったね。と話していたら、涙があふれてきた。

6/21 朝5時ごろ起こしに来た。ベッドに上がれる脚力はまだあるみたい。けど歩くときはかなりふらふらしている。8時ごろ投薬成功。
10時に点滴の予約。

先生からの言葉を要約すると、「腎臓が機能しなくなるとおしっこがでなくなるので、そうなったらもう手の施しようがないです。それまでは点滴するしか方法がないですね。甲状腺のT4も点滴で体液が増えることにより薄まることが期待出来ます。今は、血圧がかなり高い状態なので、血流が腎臓をめぐってくれています。そのおかげで腎臓が持っているだけかもしれないと考えると、腎臓も実は心配です。投薬でT4の値が下がった代わりに腎臓が悪くなることも十分考えられます。その時におしっこでなくなったら、もう天寿を全うしてもらうのが良いんじゃないかと。」

「とにかく、食欲が戻るまで毎日点滴してもらうのが今できることですね。」

点滴終わりかなりご立腹で戻ってきたちゃおですが、帰宅したら小さじいっぱい弱くらい?チュールをなめてくれました。

ちゃおを信じるしかない

これで命の灯を閉じたいと思っているなら、それはもう仕方ないこと。彼女の選択だし、もう十分に生きたと思っているからなんだと思いたい。

もしまた奇跡が起こって復活していくようなことがあれば、きっとまだやり残したことがあるということかもしれない。

結婚後まもなく我が家に迎えた捨て猫だったちゃおは、今年で満19歳。本当によく一緒にいてくれたと思う。

ちゃおのことを考えていて、つい先日気が付いたことがある。それは、彼女は私の娘の生まれ変わりかもしれないということ。

結婚後すぐに流産してしまった私は、寂しさのあまりに猫を飼おうと里親サイトを探し始めた。そこで出会った子がちゃおだった。

去年までは、ただのかわいいペットだと思っていた。けれど去年ちゃおが死にかけたとき、いろんな本を読んだりちゃおとの接し方を改めたりする中で、命とはなんだろうということに向き合う時間が急増した。

そんな中でふと「あ、この子は私のあの時の子の生まれ変わりなのかもしれない」と何となく思った。

そんなことあるわけないかもしれないし、全然関係ないかもしれないけど、ふとそういう思いが浮かんだ。

子はかすがいじゃないけど、ちゃおがいたから私たち夫婦も今までやってこられた。

ここで旅立とうとしているということは、「もう私がいなくても大丈夫だよね。」と安心したからなんだろうか?

「まだわからない。」という気持ちと、「覚悟を決めよう。」という気持ちとのせめぎあいは、昼夜を関わらず私の心の中の大きな葛藤として現れ続けている。

絶対避けられない苦しみの生病老死。自分の死の時もたぶんそうなんだろうが、愛する人との別れの方が胸が引き裂かれるほど辛い気がする。

出来る限りの延命措置をするのが良いのか?

亡くなったら実家の庭に埋めてやりたいけど連れていけるのだろうか?

無くなったら私は生きていけるのだろうか?(もちろん生きていかなくてはいけないのは重々承知だが)

眠れない日々といろんな思いが私の心の中を駆け巡っている。

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