色のチカラを味方につけて私がどう変わっていったか1~第9回大分仕事フェスタ登壇します~

2018年10月23日 大分仕事フェスタ 

にて登壇させていただく機会を頂きました。
まだ大分に来て6か月目で、起業して1年半しかたっていない私が、各方面でご活躍の諸先輩と一緒にセミナー講師として登壇させて頂けるなんて!本当に感激です。「真田さん、頑張ってるから」とお声がけを下さったそうで、心よりありがたく思います。

そんな私が皆さんにどんなお話が出来るんだろう?と考えて、写真の打ち合わせの時に決めたお話がこちらです。
「色のチカラを味方につけて、私が人生をどう変えていったか。色をどう活用して、自分に自信を持ち、人生を楽しく過ごせるようになったか」

あか抜けない40代のおばさんだった私

今の私しかご存知ない方は、こんな風に実は思っていらっしゃる方が多いようです。実際に、実はこう思ってたんだよね、と以前お伺いして、ええっ!!と思ったことがあります。
それはこんな風。「昔からキレイでスタイルも良かったんでしょ?」「子供のころから頭も良くてなんでもうまく出来たんでしょ?」「セレブだからいい生活をしてお気楽に生きて来たんでしょ?」「苦労なんてしたことないでしょ?」「いつもちやほやされて、ラクして生きて来たんでしょ?」

とんでもない!!!全くそんなことはありません!!
むしろ、今の私しかご存知ない方は、驚かれると思います。
今の私になれたのは、ほんの2年の間の事です。それまでは、自分に自信がない子供もいない負け犬の40代の主婦でした。それが、変わって行ったか、さかのぼって過去からお話ししたいと思います。
良かったらお付き合いくださいませ。

田舎の兼業農家の家庭に生まれました。

私は岐阜県の田舎の出身で、今ちょうどNHKの朝ドラでやっている「半分、青い」の舞台となっている岐阜県の東農地方が地元です。ああいう方言をしゃべってましたし、今も実家に帰ると、ああなります(笑)

3人兄弟の長女で、しかも親戚中で一番上でした。いつも「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われていて、それが当たり前だと思っていました。我慢するのが当たり前って。だから自分の希望とか欲しいものとか、段々と分からなくなってました。でも、やっぱりそれが普通だと思ってました。それは大人になっても続きます。

小さいころは、背が低い子でした。背の順で真ん中よりも前。そして、成績も、クラスで後ろの方でした。全然目立たないおとなしい子で、病気ばかりして、病院ばっかり行くようなそんな子でした。

そんな私も、勉強に部活に頑張って、憧れだった大学へ現役で合格します。そして、いつの間にか身長も170センチを超えていました。でも、受験勉強のストレスからか、自分に自信がないためか、摂食障害になってしまってました。

ちょっと分かりにくいのですが、当時の写真です。ガリガリですよね、脚なんて木の棒みたい。これでも痩せないといけない!って思ってました。

卒業後は商社に入ります。でも、そこで、あからさまな男性社会を目の当たりにします。それまで男女平等で教育を受けて来たのに、これが現実か、、、とショックを受けました。同期の男の子のように仕事のチャンスは与えてもらえない、当然お給料も全然違う。旧態依然の会社でしたから仕方ないとはいえ、理不尽だと思っていました。その思いから、性別関係なく楽しく働けるところに転職しよう!と転職活動を開始し、化粧品会社に転職します。女性が活躍しているような会社なら、そういう理不尽なことを感じなくて済むだろうし、上のポジションを狙えるはずって思ったんです。アジア統括みたいなのまでなりたい!と野望を抱いていました。

仕事は、とっても面白くて、毎日充実していました。もともと接客が好きで、大学時代のアルバイトも家庭教師と接客業ばかり。売り上げも順調に伸び、残業も苦にならず、仕事が人生じゃないですけど、とても楽しい日々でした。そんな時、仕事帰りに横断歩道を渡っていたら、タクシーが突っ込んでくるという交通事故に遭い、腰の椎間板ヘルニアになってしまいます。

こんなコルセットを、石膏で型を取って作りましたね。経年劣化でボロボロになってしまい捨てましたが、随分とお世話になりました。

その後のリハビリは結構大変でしたし、コルセットをして痛み止めを飲み、会社帰りに通院しながら、片道1時間半の通勤をしていました。そう簡単に治るものでもなく、お医者さんからも「痛みをだましだましして、生きていくしかないからね、こればっかりは。」と言われたことを覚えています。当時27歳くらいで、これから結婚も出産もしたい!と思っていただけに、絶望的な気持ちにもなりました。

そんな中、国産から外資系に転職して、お店の規模も大きくなって、そんなお店を任されるようになって、さぁ、これからだっていう時に、結婚の話が出ます。年齢的にも30歳くらい。別に結婚しなくても仕事に生きればいいやとも思ったりしますが、両親を始めとする周りからののプレッシャーをかなり感じていて、ちょうどタイミングかな?と結婚を決めます。夫となる人は転勤族。それまでの私は、サラリーマン家庭に育ったとはいえ、転勤の経験はなく、結構甘く見ていたんですよね。10年くらいに一度転勤とか、そんなもんかなぁって。だから、会社やスタッフに迷惑かけたくないと思い、いったん退社する事にします。転勤先でまた職が見つかるだろうって、これもまた甘く見てたんですよね。

スキルもキャリアもあるんだから、どこに行っても同じくらいの仕事につけるだろう、って。あなたも結婚などで退社する時は、そんなふうに思いませんでしたか?

この決断が、10年以上私を苦しめることになるとは、その時は全く気が付きませんでした。

続きはこちら
色のチカラを味方につけて私がどう変わっていったか2

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