色のチカラを味方につけて私がどう変わっていったか5~第9回大分仕事フェスタ登壇します~

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もうすぐあなたがやりたいことが見つかるから

この言葉だけが心の支えでした。「残りの人生あと半分。自分がこれをして生きてきてよかった、と最後に思えるものを見つけたい」関東に行けば、きっと何かが見つかるはず。そう期待していました。そして、具体的に自分のやりたいこと探しを始めることになりました。

でも、何やったらいいか分からない

自分の好きな事をやればいいって言っても、自分の好きな事っていったい何?と、思いました。皆さんもそうじゃないですか?好きな事を仕事にする、という言葉はありますが、じゃあ、一体仕事に出来るような好きな事って何だろう?って考えちゃいませんか?私もまったく同じでした。

仕事に出来る好きな事、と言って、真っ先に浮かんだのは語学。語学は大好きでずっと勉強してきています。と言っても留学経験があるわけでもなく、ネイティブ並みに英語が喋れるわけでもない。イタリア語も3級までしかとってないし、中国語も2級落ちてしまい3級まで。学生時代のヒンディ語も忘れてるし、そもそも出来の良い生徒でも無かった。あとは本当に独学でやっただけの広東語、ベトナム語、ミャンマー語、ペルシャ語、スペイン語 etc..どれも人さまに教えられるレベルじゃありません。

じゃあ、パン教室?パンはホームメイド協会で師範クラスまで取りましたし、生パスタも取りました。でも、お免状が当時の価格で30万円くらいしたので、当時教室やるつもりもなかった私は、お免状は取りませんでした。

え~~何だろう?????と、全然思い浮かばず、気持ちは焦るばかりでした。

おばあちゃんとの再会が、それを私に教えてくれました

そんな中、久しぶりに帰省し、大好きなおばあちゃんに会いに行きました。私は初孫でしたので、兎に角かわいがってもらいました。大好きなおばあちゃんです。何年か前から施設に入ることになったよ、という話は聞いていたのですが、実際にその施設へ訪問しに行くのは、初めてでした。

そこで、言葉を失うほどショックを受けました。おばあちゃんと私が最後に会ったのは、数年前。当時も90歳代でしたが、お洗濯やお料理もし、畑での農作業もなんとか出来るくらいだったのが、もう寝ているだけになっていました。アルツハイマーもどんどん進み、もう私の顔はおろか、息子である父の顔を見ても、誰か分からない、そんな状態になってました。

私は悲しくて涙が止まりませんでした。そして、施設に入って歩かなくなってから、アルツハイマーがどんどん進んでいってしまったことを知りました。なんで施設なんて入れちゃったんだろう?私が実家にいたら、とも思いましたが、私には発言権も決定権もありません。仕方なかったことではあったんですが、でも、でも悔しくてたまりませんでした。動作がゆっくりでも、自分の脚を使える状態でいてくれたら、きっと状況は変わっていたに違いない。そして、その時に思ったんです。歩き方を教える人になろう、と。誰もが自分の愛する両親やおじいちゃん、おばあちゃんが老いていくのを見るのは悲しい。ましてや、私のおばあちゃんのように、あのころのおばあちゃんの面影を全く残さない状態になってしまったら、後悔してもしたりません。私のように、悲しくて辛い思いをする人をこれ以上増やしたくない、だから、年老いても健康でいてもらえるように誰でも出来る健康的に歩ける方法を教えられる人になろう!と。おばあちゃんが教えてくれたんです。
(写真は元気だったころのおばあちゃんに、童謡を引いているところ。一緒に歌ってくれました。)

そして、賽は投げられた

関東に戻り、ウォーキングを教えてくれるところを探し、そちらで習いインストラクターになります。
その過程で、横浜市がやっている女性起業家たまご塾に応募し、選考に通り入塾しました。そこで、女性起業家を目指す同期の方々と、起業についての勉強をしていきました。これを皮切りに、そういった塾にはいろいろ行くことになりますが、それと同時に、世界がどんどん広がっていきました。独身時代から好きだった化粧品の仕事での経験を活かして、メイクも教えられるようになろう!とメイクの学校にも行くことにしました。

自分が変わると、周りが自然と変わっていくのを実感しました。付き合う人が変わり、その人のつながりからまた新しい世界が広がり、自分がどんどん変わっていくのを感じました。
でも、世界が広がるにつれて、出来ない自分、他の人よりダメダメな自分にも落ち込むことが増えていきました。そうです、私は根本的にまだ引きこもりのウツの主婦な心を抱えたままだったんです。全く自分に自信を持てませんでした。だから、頑張って自分を鼓舞して出かけてみても、そこにいる人たちが眩しくて、自分が全然ダメで、かっこ悪くて、みっともなくて、余計に落ち込むというサイクルを繰り返していました。

写真はちょっと不鮮明ですが、2016年12月です。このころは、本当に自分に自信がなくなり追い込まれていたこともあり、すごい顔してますね。ストレスと不眠で顔がパンパンになってました。

亜希子さんは、そのままでいいのよ。だってパープルさんだもん。

そんな時に、あるイベントでキレイデザイン学のインストラクターさんと出会い、「亜希子さんは、パープルさんだからそれでいいのよ。」と言ってもらいます。これが私の心を救ってくれる一言になりました。

その時は、女性起業家と活躍されているその方がとにかくすごく見えて、周りの方もすごく見えて、「私なんて、思いつくまま手を出しては極めることなく次の事がやりたくなって、ちっとも極められないんです。皆さん、すごいです。」と言いました。それに対しての返答が、そうだったんです。そして、さらに心が軽くなる一言を付けくわえてくれました。
「極めてないって、自己判断でしょ?でも、考えてみて、そこまでやったなら、十分極めている範囲に入るわよ。ハードルを上げすぎて、そこまでいかないとダメって自分で勝手に決めてるだけじゃない?そうでなくても、他の人と比べたら、もう十分なくらいになっているのよ。パープルさんだからそれでいいの。やりたいことをやりたいだけいろんなことに挑戦すればいいのよ。そこから何かが見つかり、広がっていくから。」と。

以前もどこかで書きましたが、基本的に私は占いとかは大嫌いな人で、雑誌の占い、毎朝のテレビの占い、血液占いも「ケッ!」と思ってました。大体人を4種類に分類するなんて、ナンセンス。なんの根拠もエビデンスもない。なのに、キレイデザインは、すんなりはまりました。だって、言い当てられることばかりだったからです。

そして、すぐに「私もインストラクターまで取ります!お願いします!」とお伝えしました。なぜなら、私のように自分に自信の持てない人に、自信を持ってもらえるためのアドバイスが出来ると思ったから。
そして、その人に自信をもたらしてくれる色でメイクをして差し上げたい!そう思ったからです。

そして、キレイデザインについて、色彩心理について、色について学ぶにつれて、どんどん自己肯定感が上がっていき、自分に自信をつけることになりました。

どう変わっていったか、それは次回へ続きます~

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いよいよ最後です
色のチカラを味方につけて私がどう変わっていったか6

 

 

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