私達を構成しているものは?

あなたは、昨夜、今朝、そして今この瞬間に至るまで何を食べましたか?

その食べたものと今まで食べてきたもので、あなたの心と身体は作られてきています。心身のどこかに不調があるのならば、食べているものに原因の一つがあると言っても、過言ではありません。

現代社会では、昔は当たり前だった「自然の恵みから作られた食材や調味料とそこから調理された食事」を手に入れることがだんだん難しくなっています。

私の小さかったころは、田舎だったこともあり、畑の肥料は自然に返るものばかりでした。自然の中で、循環が当たり前のサイクルとして行われていました。

それが、いつの間にか「大量生産ー大量消費ー大量廃棄により経済を回すことが大切だ」という社会の流れへ大きく変わってしまい、その流れに従って、身の回りの物は食べものだけでなく衣食住の世界全てにおいて、本来なら地球上に存在しない化学物質であふれるようになりました。

その結果、自然環境にかける負荷は日々増大し続けています。人間が生み出した「自然に返らない物質」が、生物、鉱物を始めとする地球全体を日々汚染し、その規模と範囲は年を追うごとに拡大しています。

そして22世紀に向かう今では、天然素材はコストがかかるからと姿をひそめ始め、その代わりにコストを抑えるための化学物質を使用したものや、添加物で味をごまかし、食品そのものを加工品で代用したニセモノの食品だらけになりました。挙句の果てには、遺伝子組み換えやゲノム編集まで、なんだか訳の分からない食べ物の様相をしたものがどんどん増えて行っています。

その上、表示の仕方にまで手を加え、表示を見ることで「どんなものがどれだけ入っているか?」を知ることすらどんどん難しくなってきています。

そんなものを食べ続けて大丈夫でしょうか?後世に美しい地球や生き物を残すことが出来るのでしょうか?

私たちはどこへ向かうのか?
向かわされているのか?

数年前から、「私たちは一体どこへ向かわされているんだろう?」と疑問に思うようになりました。

お店でものを買う時に「この表示は本当に信用できるのだろうか?」と心配になるようになりました。以前は、普通にどこででも購入していましたが、購入する場所を選ぶようになりました。そして、安心して買える食品が、どんどん高くなり希少価値が高まっていることに不安を覚えるようになりました。

20年以上続くデフレの日本。日本に旅行に来る外国人の方の旅行の理由に「日本は物価が安いから」が上位に占めるようになりました。このエピソードからも分かるように、世界中では物価が上昇しています。それなのに、20年前とほぼ変わらない価格で食品が買えること自体もおかしい気がしてきました。いくら為替の違いがあると言っても、大量購入すれば安く購入できると言っても、それらは本当に大丈夫な食品なのか?心配になってきました。

そんな時に知ったのは、日本において認可されている添加物や農薬が、諸外国に比べてとても多いこと。海外においては危険なものの部類に入っている日本の食品もあること。

また、島国である日本へ輸送される食物は、コストを抑えるために大体船でやってきます。そのため、長い航海の間に虫が発生しないようにする必要があります。普通の食品を常温においておけば、虫が発生したり腐敗したりするのが当たり前です。それが全くなく、つやつやで虫食いすらない輸入品はどうしてでしょうか?

貯蔵しておくだけでネズミや虫の被害にやられる小麦(小麦粉)を始めとする穀類も、ほぼダメージなく全くキレイで到着するのはなぜでしょうか?

以前、輸出入業務の関係で港湾の事務所に話を聞きに行ったことがありますが、その際に聞いた話も私からしてみたらとても恐ろしいものでした。

そういったことを疑問に思えば思うほど、いろんなことを知れば知るほど、国産だからと手放しで信用出来ないのではないか?だからと言って、輸入された食品やそこから加工されるものはどうなんだろう?と疑問はどんどん募っていきました。

そうして年々下がる食料自給率。生産者さんへの補償や保護の政策は縮小し続け、第一次産業では食っていけないから、と廃業を余儀なくされる生産者さんが増えています。そのくせ、海外からの輸入品に関しては、どんどんハードルを下げ続けてきています。

一体、誰のための食料品でしょうか?グローバル企業を儲けさせるために、私たちが犠牲になってはいませんでしょうか?

私たちが「安いから」だけを理由に、そういうチョイスをすること=国内で頑張っていらっしゃる生産者さんを廃業に追い込んでしまう。少しくらい高くても買うことから応援して差し上げることで、ゆくゆくは自分の身体や健康はもちろんのこと将来この国に生きていく子供たちに明るい未来を残すことが出来る。

こう考えるようになり、本当に安心して食べられる本当の食品を手に入れ、自然なもので作る食事を食べて生きていきたいと思うようになりました。

子供たちにどんな未来を残すのか?

そうするためには、自分で作るか信頼できる生産者さんから分けていただくことしかありません。けれど、家族の都合仕事の都合でそう簡単にも移住は出来ません。

けれど、今はインターネットを活用すれば良い便利な時代です。有機農業をしている方々とお友達になり、なるべく安心して購入できるお店を見つけ、ネットの力も借りて、手に入れることが可能です。

消費行動は、とても重要です。生産者さんを支えることにもつながりますし、そこから自分の信じた何かを後世へ残すことへとつながります。

「添加物や加工物でごまかされたものを食べないなんて言ってると、食べるものも買うものもなくなるよ。」

「セレブだからそういう高いものを買えるのよ。」

このようにおっしゃる方もいらっしゃいます。

でも果たしてそうでしょうか?

私は逆だと思うんです。そういうものを選択して買い続ける限り、そういうものに市場が占拠されていき、本当に大切な後世に残したいものが姿を消してしまうのではないでしょうか?

それに、食料自給率が低いままでは、急な為替の変動の悪影響をもろに受けてしまいます。値上げについていけず、急に食べることに困ることになる可能性もゼロではありません。

また、意外にもお値段が安い輸入品の方が国産のものよりもシンプルな材料で作られているものも結構存在します。許認可添加物の種類や量の違いにもよると思うのですが、現在ではそういうことも起きています。

子供たちにどんな未来を残すのか?

それは、私たち今の大人の責任ではないでしょうか?

後世に残したいものを一人一人が消費活動という形で応援していくことは、子供たちに自信をもって残せる世の中を作るために、消費する人なら誰でも出来ること。そして同時に、その土地土地で信念をもってやっていらっしゃる方々の応援になり、それがやがてその地域を国を変えていく力になるのではないか?そう私は考えます。

コストで考えるならどっちが経済的?

また、身体に入ってからどうなるかまだ分かっていない未知のものを取り続けることは、知らず知らずのうちに体を蝕み、後々健康を害することにつながり、病院に通い続けないといけない、治療をし続けないといけない、ということになるのではないか?とも思います。

治療、手術、入院、となるとけた違いの金額が必要になります。

はたして、どちらが現実的に考えて経済的でしょうか?

身土不二+古来からの食の知恵(薬膳、アーユルヴェーダ、食養)+その土地に受け継がれて来た伝統的な考え手法

この三つを組み合わせて食事を考えていけば、健やかに穏やかに年を重ねていけると信じ、その良さを学び伝えていきたいと考えています。