これまでの人生を、これからの人生に活かして行く2~人間が抱く5つの不安の解消につながるキレイデザイン学
前回は、私が「これからの人生を新たに始めよう!」と思えるきっかけとなったキレイデザインの理念。前回の1では、そのことについてお話しました。前回の記事はこちら これまでの人生を、これからの人生に活かして行く1
続きの2では、もう少し掘り下げてお話したいと思います。
人間が抱く5つの不安を解消していく
以前もどこかの記事でお話した覚えがありますが、古今東西、老若男女の人間が抱く不安というものは、5つあると言われています。
- 自分が分からない という不安
- 他人が分からない という不安
- 未来が分からない という不安
- お金 に対する不安
- 健康 に対する不安
私は、キレイデザイン学をやっていく事で、この5つの不安が解決へと導かれると感じています。
「え~?そんなことないでしょう!」とおっしゃる方が殆どかと思いますので、順にご説明していきますね。
自分が分からない 他人が分からない という不安
人は誰しも「自分のことが一番分からない」と言われています。「自分のことは自分が一番良く分かっている」というあなた。本当にそうでしょうか?
- それは、あなたの思い込みではないでしょうか?
- 過去の経験や周りの影響で作られた表面上のあなたではないでしょうか?
- 周りの目を気にして取り繕ってしまう自分ではないでしょうか?
キレイデザイン学では、まず第一歩として、自分という人間は何者なのか?へ踏み出すきっかけを与えてくれます。と言うと、すごい偉そうですけど、分かりやすく簡単にそして、たくさんのヒントを与えてくれます。
この部分は、生年月日を基にした統計学であるISD個性心理学から解析し伝えてくれます。現代においても100万通り以上で研究され続けている信頼に値するものではありますが、やはりあくまでも統計学です。
100項目あれば、その100項目がすべての人に当てはまるか?というと、それはどうかな?と思います。
なぜなら、人には3つの「Chi」があるからです。
殆どの人は3つの「Chi」の影響を深く受けている
この3つの[Chi] とは、いったいどんなものでしょうか?
- 『血』 両親や家族から無意識に注がれている考え方、生き方、そして価値観
- 『地』 地域や業界など場所から無意識に注がれている考え方、生き方、慣習
- 『知』 時代、世代など時間から無意識に注がれている考え方、生き方、価値観、常識
この3つは、知らず知らずのうちに私たち一人一人を構成しています。そして、あなたが生まれながらにして持っている輝きを、阻害している原因にもなっていることが考えられます。
この3つが原因となって構成されてしまった自分の「好ましくない部分」これを、「好ましい部分」へ変えていく事で、生まれ持った自分の輝きが増してきます。その時に初めて見えてくる本来の自分。
でも、それを見つけるのはとても大変ですし時間がかかります。自分探し、自分の深掘り、とは何よりも大変で辛い作業だからです。
そのヒントをくれるのが、統計学で導き出されたキレイデザイン学のキーワード。「私にはこういう傾向が強いんだ。」と分かるだけで、大きく違います。そして、このヒントをもとに自分探しや自分の深掘りをしてくと、無しの状態でやるよりも格段に速く且つ効率的に、そこに近づくことが出来ます。
・こういう傾向が他の人よりも強いですよ。
・こういう風に考えがちですよ。
・こういう風に行動しがちですよ。
自分と他人は違うんだ
自分と他人では、こう違う傾向があるんだ
誰もが、自分は大多数に属する人間であるという意識がどこかにありますし、日本人固有の民族性として協調性、同調、自分を抑えるという傾向が強いだけに、この点に気が付かない方が多いです。私もそうでした。小さいころから「変わってるね~」と言われても、「自分は普通だ」とずっと思っていたのです。
自分の価値に目覚める
まずこの他人と違う自分という個性が存在しているという事実を具体的に知り、それに向き合うことで、その後の考え方や価値観が180度変わり、当然人生にも大きな影響を与えてくれるようになっていきます。
そこから、自分がどういう人間か?に対する理解が深まっていき、自分という人間の独自性や唯我独尊で良いという自分愛が生まれます。
その結果として、自分の価値に目覚めることが出来ます。
この気づきがない限り、自分の良さには気が付きにくく、いつまで経っても「人と比べて足りない部分」を負い目に考える人間から脱却が出来ません。それは、日本の社会や教育システムでは、自己肯定感の低い人間として育ってしまうことが多いからです。
日本の歴史を振り返っても、同調圧力と没個性、減点主義という3点が世間の常識の基本となっているような事象が多く見受けられ、まるで国民性とまで思えるくらいまで、深く沁み込んでいるからです。「出る杭は打たれる」「長いものに巻かれろ」といった諺が生まれ、現在でも言われていることからも、それはご理解いただけると思います。
自分と他人が違ってよいという事にまず気が付き、その心地よさや楽さを享受していく中で、他人に対する考え方も大きく変わって行きます。そのため、今まで自分を苦しめていた悩みや苦しみから解放されて行きます。
なぜなら、この悩みや辛さというのは、こういった考えに端を発していることが大半だからです。
どうして周りの人は分かってくれないの?
どうしてこうしてくれないの?
私(や他の人)はここまで出来ている(やっている、考えられる)のに、
どうしてあの人は!?
それが、基準が変わることにより、自分の中で区切りが付けられるようになります。なぜなら、捉え方が変わり心の余裕が生まれるからです。
あの人と私は違うから。
ま、いっか。
頑張らなくて良い人生
そうすると、必要以上に頑張らなくて良い人生を選択出来るようになっていきます。そもそも日本人は頑張りすぎです。キリスト教の発想では、労働は罰としてするもの。
だから1部のエリートを除いて一般の人は、必要最低限の働きで、毎日が楽しく生きられるくらいで良い、という考え方です。
海外旅行に行くと、「この人たち一日何してんだろう?」とか、「この人たち一日カフェでおしゃべりしてるんじゃない?」みたいな風に思ったことないですか?そういう生き方をしたり、羨ましいくらいバカンスを目いっぱい楽しむ人が多いのも、こういう価値観が根底にあるからだと思います。
余談ですが、コロナの対策でお分かりの通り、日本と違いこれらの多くの国々では社会保障に関してしっかりしています。しっかりしているからこそ、こういう暮しが出来るようになっているんです。
でも日本人にとっては労働は美徳。長時間労働でも無報酬でも尊いもの。だから自分はもちろんのこと、家族も犠牲にしてまで会社のために尽くしてしまう。これはこれで素晴らしい面もあるとは思います。そのおかげで、戦後の復興を果たし、高度経済成長期を迎え見事に先進国の仲間入りをしたわけですから。今の日本があるのも、その復興に携わってくださったたくさんの方々の努力とご苦労のおかげです。
でも、時代は変わりました。あなたも変わりませんか?
そしてもう、ほどほどで、生きていきませんか?
主人公として生きていく
仏教では中庸という言葉があります。簡単に言うと、「全く届かなかったり、行き過ぎたりするのでなく、ほどほどがいいんだよ。」ということです。
新型コロナウィルスの影響で世界は変わりました。自分という存在、家族という存在、そして自分を取り巻く環境について考える時間と余裕が出来、現在置かれている深刻な状況を知ることも出来ました。
頑張り過ぎない。それで良いと思いませんか?
人生は一度きりです。無理して頑張りすぎて心と身体を壊してしまったら、何のためにお母さんが頑張って産んでくれたか分かりません。折角お母さんが、大変な思いをして産んでくれたんです、そのお母さんの思いに応えるためにも、自分を大事にして生きていきませんか?
そしてその「もっと!もっと!」は本当に必要でしょうか?
そのもっと!もっと!の先にあるものはなんですか?
それは本当にあなたがこの人生で欲しているものなんですか?
欲望には限りがありません。それを追求し続ければし続けるほど、終わりのない欲望の泥沼に足を取られてしまうだけです。そうではなく、本来のあなたの人生を生きる、まさに主人公になって生きていきましょう。あなたの中に、あなたという本来の自分がいるというのが、主人公という言葉の意味するところです。
あなたという人生の主人公は、あなたしかいません。そこが分かって来ると、今ある幸せにも気が付くことが出来るようになります。
あなたは、今の自分の足元の幸せに気が付いていますか?
それが出来てくると、欲望の「もっと」ではなく、自分が望む本当の幸せにつながる大きな一歩を踏み出すことが出来るのです。
こんな素敵な一歩を踏み出してみませんか?
そしてその一歩の次に来る二歩目には、もっと素晴らしい世界が広がっていることでしょう。このように、ゆっくりでも着実な一歩一歩を進めていく事で、自分だけでなく周りの人の人生も大きく変わって行きます。
なぜなら、あなたは水面に落ちた一つの雫です。その雫は、波紋となってゆっくりと、けれど確実に周りへと波及していくからです。
あなたがその波紋となるための秘訣やヒントは、キレイデザイン学にたくさん隠されています。
次回は、5つの不安の続き「未来が分からないことへの不安」についてお話していきます。
次回はこちら→これまでの人生を、これからの人生に活かして行く3~人間が抱く3つ目の不安~未来への不安