日本におけるカレーの歴史1
前回のシリーズでは、インドの食文化ということで、日本の食との比較を交えながら綴ってみました。さて、その次のシリーズは、カレーの歴史です。以前もちらっと書いたことがあるテーマですが、今回は日本の歴史の方に重点を置いて綴って行きたいと思います。
日本のカレーの歴史に入る前に、まずは復習を。
日本以外で広まった地域として真っ先に名が挙がるヨーロッパの歴史から見ていきましょう。
ヨーロッパでのカレーの歴史
大航海時代辺りの歴史については過去記事をご覧ください。こちら 日本人がスパイスカレーを美味しく作れないワケ3
さて、大航海時代を経て、様々なスパイスがヨーロッパへ入ってくるようになります。彼らが一番欲しかった黒胡椒は、暑い地域でしか育たないため残念ながら栽培という形で広まることはありませんでした。
その代わり、そこまで暑い気候でなくても育つ唐辛子が、黒胡椒の代わりに世界中に広まることとなりました。
ちなみに、この流れでインドに唐辛子がやってくることとなります。これらは南米原産の植物なため、それ以前はインドには唐辛子はありませんでした。意外ですが、この頃からミルチとヒンディ語で呼ばれるレッドペッパーは、インド全体へと広がっていくこととなったんです。
話をヨーロッパに戻しましょう。
1773年には、ロンドンのお店のメニューにカレーの掲載があり、
そして1780年代には、イギリスにて缶入りのカレー粉が発売され、
その後19世紀になると、ヨーロッパのあちこちの都市のレストランで、カレーが出されるようになっていたという記録が残っているそうです。
日本でのカレーの歴史
簡単にヨーロッパでの流れを見た後は、今回のテーマでもある我が国日本における歴史を振り返ってみましょう。
いわゆるカレーライスが日本において食べられたのは、明治時代の始めだと考えられています。
がしかし、その前の安土桃山時代には、かの織田信長が外国からの文化を喜んで受け入れていたのは有名な話です。
それに、鎖国をしていた江戸時代でも長崎の出島にはいろんな船が入港して来ていました。
だとしたら、その船にアフリカや南アジア、東南アジアからの下働きの人たちや奴隷として乗り込んでいた人たちがいたことも考えられます。
その中の誰かがカレーらしきものを食べていたかもしれませんし、それを見た日本人や食べた日本人もいたかもしれませんよね?
そう考えると、記録には残ってないとしても、誰か明治時代の前にカレーを食べたことがある人がいてもおかしくないんじゃないかな〜なんて思います。
もし当時食べた人や見た人がいたら、感想をぜひ聞きたいところですね。
また↑で出た唐辛子も江戸時代に日本にも入ってきて、南蛮と言われ流通しました。そう言えば、南蛮唐辛子って言いますもんね。これが由来だそうです。
今では日本のあちこちで栽培されている唐辛子も、実はこの頃からだったんですね。
記録に残っているカレーを食べた初期の日本人は?
記録の上では明治時代から始まった日本でのカレーの歴史ですが、それ以前のカレーについての記録が残っています。
それは、幕末に遣欧使節団に参加した岩松太郎が残した記録。当時彼が見たインド人の食事についての記録を残しています。
その時の記録がいかにも武家のしつけを受けた人の感想っぽいのですが、
「飯の上に唐辛子風味にいたし、芋のどろどろのような物をかけ、これを手にてかき回して手づかみで食す。至って汚きものなり。」
箸の持ち方からお椀の持ち方などなど、厳しく食事の仕方のしつけを受けた人から見ると、すごい食べ方している・・と思えたことでしょう。辛辣な感想です。
日本で最初のカレー屋さん
では、お店に登場したのはいつ?どこで?なんでしょうか?
日本における最初のカレー屋さんだろうと言われているのが、東京に有った「米津風月堂」。
当時ハイカラだった洋食のオムレツ、ビフテキ、カレーなどを提供していたそうです。かけそば1杯1銭だったころに、カレーは8銭。今の価値に換算すると3000円以上!
高級料理だったんですね!!
明治のころのカレーレシピは?
さて、その頃家庭でも作られることはあったんでしょうか?実は、明治の頃にカレーの作り方が本に掲載されたとの記録が残っています。
それは明治5年の「西洋料理指南」という本。そちらにカレーの作り方が載っていたそうです。
カレーの製法は、みじん切りのねぎ、しょうが、にんにくをバターでいためて水を加え、鶏、エビ、たい、かき、赤ガエルなどをいれて煮、カレー粉を入れて煮込んだら、最後に塩と小麦粉の水溶きを加える。
西洋指南書 敬学堂主人
なんと!カエルを入れていたようですよ!!
その後カレーの認知度も上がっていき、当時の婦人雑誌にもレシピが載るようになったようです。上記の専門書から考えると、かなり一般化して来ています。さて、そのレシピは?と言うと、イギリスで作られたころのレシピととてもよく似ていて、手の込んだものだったようです。
こちらにはカエルは入ってないようですね(苦笑)
煎茶茶碗に1杯のバターとねぎ3,4本を細かく切って深鍋に入れ、強火でネギが柔らかくなるまで炒めたら、煎茶茶碗に八分目のうどん粉を入れ、絶えずかき回しながらトビ色になるまで炒りつけてから、煎茶茶碗に半杯のカレー粉(西洋食料品店にあり)を入れ、鰹節の出汁を入れながらかき回し、醤油を適当に加え、十分ほど弱火で煮てから味噌漉しで漉し、そこへゆでたくるまえびか鶏肉を入れて、炊き立てのご飯にかけて食べる。
婦人雑誌に掲載された風月堂の当時のレシピ
先日、カレーを作ろうとしたら玉ねぎがなくて「そうだ!明治のレシピはネギで作っていたな!」と、野菜室に有った小葱を代わりにしました。
そしたら、ちゃんとカレーが出来ました!
カレーの広まり
明治の後半になると、洋食文化が広がっていき、それにつれて洋食屋さんの数が増えていきました。
そして明治36年には国産のカレー粉が発売されます。その後明治の終わりから大正にかけ西洋野菜が広まって行くにつれ、カレーも家庭で作られるようになっていきます。
高級料理だったライスカレーも明治には国産のカレー粉が発売され、西洋野菜が広まるにつれてカレーも広がっていきました。そしていよいよ、ハウス食品の前身の会社が登場します!
次回へ続きます
いかがでしたでしょうか?
今ではインド各地のカレーを日本で食べられるようになりましたが、こんな歴史があったんですね。
ネギでもちゃんと作れたカレー。今度は長ネギでやってみようかと思ってます。これからネギの季節になりますもんね。ちょっと和風になるのかな?と楽しみです。
さて続きのその2では、日本でどのように受け入れられ広まって行ったかについて詳しく書きたいと思います。お楽しみに♪
続きはこちら 日本におけるカレーの歴史2