日本におけるカレーの歴史2
前回の記事はこちら 日本におけるカレーの歴史1
ライスカレーはクラーク博士が命名?
三丁目の夕日でも登場していたカレーの呼び名は「ライスカレー」
このライスカレーという呼び方は、いつ誰から始まったんでしょうか?ちょっと興味ありませんか?
実は、このライスカレーという日本での呼び方は、札幌農学校(今の北海道大学)の初代教頭クラーク博士が使ったという説が有力です。
札幌農学校とは、明治の初めに開拓地である北海道で新しい農業を広めるために作られた学校で、西洋の農業技術を学んだり数々の新品種を育てる場となっていました。なので、当時日本では珍しかった西洋野菜である玉ねぎ、にんじん、じゃがいもも、こういった理由から手に入りやすい環境にあったんです。
当時の北海道では稲作は出来ませんでした。きらら397が美味しい北海道米として登場したのも、昭和になってから。1988(昭和63)年のことです。
それまでは、ドイツ辺りと同じような気候を利用して小麦などの栽培をしていましたので、学生寮の食事は小麦粉を使ったパンが中心だったとか。
こういった状況下ですから、当然お米は高価な食べ物。ですので、学生食堂に登場することは少なかったそうです。けれど、メニューがカレーの時なら特別!致し方ない、ということで「ライスカレーならよかろう」と、カレーの時はご飯を出すことをクラーク博士が許可したような記録が残っているそうです。
技術が進み、今では北海道産のお米も色々とありますよね?先人の方々が苦労して開発してくださったおかげですね。
ところで、今は当たり前に購入出来るお米も、生産者の方がどんどん減っている今、いつまでお金を出せば買えるものであり続けてくれるのか分からないのが今の現状です。今年は特にお米の価格が下がってしまって、農家さんたちは大変だそうです。たくさん食べることで少しでも応援して差し上げたいと思っています。
さて、このように明治時代から始まり、徐々に市民権を得ていったライスカレー。前回の1で書いたように広まって行きました。
そして、その広まりを加速させたのは、なんと!海軍でした。
兵隊さんたちが海軍で食べたカレーから、さらに日本全国へと広がっていくことになります。
海軍カレー
明治時代には、日清戦争と日露戦争があり、出兵した人たちは、そこでライスカレーと出会いました。名前は、ライスカレーやカレーライスではなく、「辛み入り汁かけご飯」!!
カレーは、大きな鍋で効率よく調理出来ますし、栄養バランスも良い食事です。入れる野菜の人参、じゃがいも、玉ねぎは長期保存できる野菜。軍隊のような大所帯にとっては、ぴったりな食事。
今でも海上自衛隊では、金曜日はカレーの日として、各艦艇が特色あるカレーを出しているそうです。
私も子供会のイベントや、合宿、キャンプなどで食べた覚えがありますし、今でもイベントでは定番のメニューですよね。
その後、戦地から帰ってきた人たちが家庭でも作るようになり、一気に全国へと広まって行きました。そして、満を持してカレールゥが登場することとなります。
カレールーの登場!!
明治10年ごろのカレーレシピを思い出してください。小麦粉をを炒め、それにカレー粉を入れて、出汁を入れ、醤油を入れて味噌漉しで濾す。という結構手間のかかる工程が必須でした。
それを簡単にしてくれたのがカレールゥです。当時は粉末でしたが、この手間のかかる工程を一気に短くして「粉のルゥをお湯で溶いて加えるだけ」にしてくれました。
このカレールゥを発売したのが、東京日本橋の岡本商店。「ロンドン土産即席カレー」という商品名で大正3年に発売されたそうです。
それから改良を重ねて発売されたのが「ホームカレー」。ハウス食品の前身である浦上商店が大正15年に売り出しました。大正15年は昭和元年でもあります。西暦で言うと1926年。2021年の今から考えると、いわゆるハウスのカレールゥが発売されて95年たっていると言うことです。すごいですよね。
その後、どんどん進化していったカレールゥ。
今の固形タイプになったのは、太平洋戦争が終わった昭和30年代になってからです。
今ではカレールゥも種類も増え、様々なものを好みに合わせて選べるようになりました。ありがたいことです。
編集後記
ざっと振り返ってみた国内におけるカレーの歴史、いかがでしたでしょうか?。結構面白かったんじゃないかな?と思います。
今回の話の流れで出た「海軍カレー」。今では海自カレーと名を変え、更にメジャーになっています。レトルトカレーも発売されてますので、食べたことのある方も多いのではないでしょうか?
はてさてどんな海軍カレーがあるのか、ちょっと知りたくないですか?次回の番外編にてお知らせしたいと思います。
次回もどうぞお楽しみに♪
続きはこちら 日本におけるカレーの歴史3番外編(編集中)